〜3〜


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 暗い部屋の中で、デスクに座った恰幅のいい中年の男が口を開いた。

「あの気の正体は掴めたかね?」
「はっ。桜葉および神薙と接触した模様です。その後の消息は尾行中でして、気付かれないように尾行すると少し時間が必要かと思います」

 脇に立つ若い男は腕を後ろに組み、中年の問いに答える。

「それと、やはり彼には型が無く、詞や呪文のようなものは不要のようです。先日使ったのもやはり便宜的な意味合いが強いと考えます。」
「だろうな。複雑な型ならば、技巧による小細工も必要だが、単純な力だけなら御するのも容易かろう」
「では、捕獲いたしますか?」
「ふむ・・・アレは完成しているのか?」
「壱型は既に実践配備可能です。弐型は未だ起動実験中です。」
「壱型だけで捕獲は可能なのか?」
「現在、かの者の霊力はそれほどの増量は見込まれておりませんので、分析データの試算では90%の確率で可能だと出ております」
「よし、ならば許可しよう」
「はい、了解しました。では、失礼します」

 若い男が部屋から出ていくのを確認し、中年の男は窓から外を見ながら呟いた。

「念のために、もう一つくらい罠を張っておくか・・・」
 そう呟くと男は電話の受話器を手に取り、どこかに電話をかけたのだった。

 それから数時間後、第三技術研究所という看板が掲げられた門を通り抜け、若い男は建物の中に入り、周囲への挨拶もそぞろに研究室に入っていった。
「お忙しいところ、恐れ入ります皆実所長。壱型を起動して欲しいとのことです。それとターゲットのインプット作業に付いてですが・・・」

 人間がまるまる入るような大きなカプセルの前で、皆実と呼ばれた初老の男は振り向きながら、
「分かっています。私も同席しましょう」
「申し訳ありません、助かります。」
「いえいえ、これも私達が力を合わせての産物。お互い様ですよ」
 そう言って皆実は微笑みながら、目の前にある巨大なカプセルを若い男と共に眺めたのだった。
「何といっても、この壱型バルトテックスは私の傑作中の傑作ですからな・・・」

「忌人の討伐、ですか・・・」
 所長室に呼ばれた舞夜が呟く。

「そう、今は手が空いてる筈だから調査の方をお願いしたい。先日の騒ぎもあったばかりだが、いけるかね?」
 そう訊ねられた舞夜の顔は渋い。そもそも忌人とは祓人と同質の知性体なので一人で担当した場合は返り討ちになる可能性がある為、陰陽省では安全を期して複数人で担当することになっている。
「しかし今、うちの事務所で担当できるほど手の空いた者は・・・」
 それは当り前だとばかりに所長は頷き、
「もちろん、派遣を頼んであるよ。そろそろ約束の時間なんだが・・・。まあ、ちょっとお茶でも飲んで待っていよう」
「ああ、そうだったんですか。それなら私は構いませんよ」
 そうして二人でお茶を口にしながら、派遣を依頼された者が来るのを待った。

 Iエリア北部災害研究事務所。
それがこの事務所の名称である。災害研究とは上手くいったもので、その実は陰陽省の出先機関である。Iエリアは南方に軍神『武甕槌神』を祀った大社があり、北方にもその影響は届いている。そして南方には正にその武甕槌神の加護を得ているとまで言われている若手の祓人筆頭『崇神 司光(たかがみ しこう)』が勤務しているのだ。

 武甕槌神が建雷之神と書かれる事もあるように、司光も雷の力を使う。本人曰く「『神が鳴る』から雷とは『神鳴』と書くのが本当なのだ」という事らしい。更に目立ったいるのが、『布津御霊剣Type.D』と呼ばれる彼の武器である。言ってみれば漫画の中でしか出ない斬馬刀を布津御霊刀工術で鍛え上げた刃渡り150cm、厚さ8cmの巨大な塊である。司光はこれを軽々と振り回すのだ。もっとも、彼が担当すると武器を使う前に大抵は解決してしまうのだが。

 また、司光には静那の姉である『結』が嫁いでいる。静那のようにお嬢様言葉を使うが、気品を保ちつつ優しく母性的で親しみやすい事を舞夜は覚えている。静那に言わせると「お気をつけて、お姉様はこの世で怒らせてはいけない『生物』の一つですわ」と、顔を蒼くしながら言っていたのを覚えている。その詳しい理由を舞夜は知らない。

 そして舞夜の目の前にいるこの男性が、北部事務所所長『油谷 厚樹(あぶらたに あつき)』 コードネーム『錦脂(にしきあぶら)』である。
 名は態を表すとはよく言ったもので、実際に彼は若い頃から太めの体質で、ついでにギンギンに脂ぎっていた。しかし、その温厚な人柄と、太極拳と道術を組み合わせた武術は、その外見と裏腹に実に鮮やかで、その時に皮脂が反射する鮮光から、このコードネームが付いた。本人も自分の脂体質は自覚していて、この名で呼ばれても笑って接してくれるので周囲の評判も良いのだ。

 そうしていると、部屋をノックした後、事務員の声がした。
「所長、沙上様がお見えです」
「ああ、時間通りだ。お通して下さい」
 扉を開けて志征が所長室に入ってくる。
「失礼します・・・って、あれ?」
「あ、沙上さん。先日はどうも。今回の派遣の方って、沙上さんだったのですね」
 と、志征と舞夜は挨拶を交わす。油谷は少し驚いた態で、
「なんだね。二人とも既に知り合いなのかい?」
 と、立ち上がりながら言い、志征をソファーに座るように促し、自分は脇に置いたポットと急須でお茶を注ぎ始めた。

 実は油谷は、こういう点でよく気が利くのである。舞夜が口にしてるお茶も油谷が淹れたもので、舞夜が自分が淹れると言ってるのに、油谷は「いいから、いいから」と自分で淹れてしまうのだ。そして実際、舞夜よりも油谷が淹れたお茶が美味いものだから、お茶淹れ担当の事務の女性陣から尊敬されるやら妬まれるやら、複雑な状況を作る時がある。

 志征は座りながら、
「ああ、いつもすみません、所長。今回はまた仕事を頂けると聞いて、飛んできましたよ。ははは。」
 と、言った。
「で、今回はこの舞夜ちゃん・・・じゃなかった、桜葉さんとコンビでやる仕事ということですか?」
 淹れたお茶で軽く喉を潤した後、油谷はひと息ついて返答する。
「そういうことです。相手は忌人らしいのですが、うちの事務所も今は人手が足りなくてね。前から言ってるように、沙上君がうちに勤めてくれればいいんですけどねぇ」
 そう言って笑いながら志征の顔を見る。
「所長〜、勘弁して下さいよ。公務員みたいにお堅いのは俺には無理ですって。勤めてる間に破綻しますよ」
 そう言い返して笑う。
「まあ、その話は脇に置いておきましょう。桜葉君とは初対面じゃないんですか?」
「ええ、先日の案件26669794号の時に、噛み合ってしまって。穢れが取り憑いた猫が、彼・・・沙上さんが捜索依頼をされていた猫だったらしくて・・・」
「ああ、なるほど。そういう事でしたか。」
 油谷所長がお茶を飲んで上がった体温が上がったのか、ふぅふぅ言いながら額の汗を拭きながら応えた。志征と舞夜が、その汗をお茶のせいだけと言わないのは既に自明の理だ。

 志征と舞夜は思わず目を合わせて、それが互いの意図することが同じだったというのを確認した。「所長も、少しくらいダイエットした方が楽なんじゃ・・・」と、そういうことだ。

「さて、それじゃそろそろ本題に入ろう。この写真が今回のターゲットだ。」
 油谷所長が一枚の写真を二人の前に出す。写真には、紅に揺らめいた人影が写っていた。
「これは・・・焔?」
「恐らく焔だろう。そのせいで空気が揺らいで画像もピンボケしたように見えるんだと思う」
「焔使いか・・・厄介ね」
「火事になったら困るしな」
「まあ、それもあるんだけど・・・」

 写真を見て、暫定的な対策を検討しながら、舞夜は少し困った顔をして志征にそう返答しつつ、「私の力じゃコントロールするの、難しいのよ。焔は」と思った。

 その様子をしばらく見ていた油谷所長が口を開く。
「では、この案件を26669898号として対処する。この件に関しては沙上志征君および桜葉舞夜君に頼むこととなり、該当案件忌人討伐に関する全権が委譲されることをここに宣言し、この契約書に明記する。以上、それでは宜しく頼む」
 そして承認印を押した契約書のコピーを控えとして二人に渡す。

「ところで所長、今のところの目処はこの写真だけですか?」
 志征が訊ねた。
「そうなんだよ、沙上君。幸いにも大きな事件が起こる前にたまたまその写真が飛び込んできてね。一応、M駅南当たりで撮影されたようだね」
「ふーむ、そっか。それじゃとりあえず行ってみようか、桜葉さん。」

 舞夜は志征の言葉に頷くと、二人は席を立った。


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改:2006-10-11
初:2006-7-24

Angel of Black is in the interval exceeding light and darkness...