〜2〜


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 舞夜が事務所に戻ると、もう一人の職員が待機していた。待機と言えば聞こえは良いが、流石にそう毎晩毎晩このような霊的事件が発生するわけでは無いので、半分は給料泥棒のようなものだと思う。

 自分の席に座り、報告書を取り出して結果報告を書きながら、今夜の出来事を思い出していた。彼、沙上志征はこの刀、紅一刀『桜華』が緋緋色金である事を見抜いた。緋緋色金は、架空の金属であり現代技術での精製は不可能である。この刀も一族によって伝えられていたに過ぎない。そう考えていると、コトリとコーヒーカップが机の上に置かれた。

「お疲れ様でした。帰ってくるなり、挨拶も無いのはどうかと思いますわよ?」

 コーヒーを置いたのは神薙静那。前髪を右側だけ垂らし、髪は後ろでポニーテールにしている。品の良い物腰は神薙家が元華族の由緒正しい家柄であることから、静那の口調もいわゆるお嬢様言葉だ。舞夜と同期で陰陽省に入ってきた祓人で、普通の省庁だったらキャリア組だったであろう。実際、彼女の学歴も一般キャリアに劣らないのだが、陰陽省は普通の国家機関とは違う。誰もが戦わなければならない、死と隣り合わせの裏の世界の住人なのだ。

 その中でも実際彼女は才能がある。家に伝わる青生生魂(アボイタカラ)で造られているという霊槍『月泉(つきいずみ)』を自在に操り、禊祓でも実力を発揮している。ただし、1ではない。いつも舞夜に一歩及ばないところは、彼女自身も不思議に思っている。

 桜葉舞夜は世間一般で言えば、ズレている人間である。しかし静那は学生時代からの付き合いから、舞夜が聡明な人間である事を最近になって理解した。あまりに聡明すぎる為、彼女の考えを理解できる人間が少ないだけなのだ。

「あ・・・ごめんね。ちょっと考え事してたから」
「あら、いつも聡明な貴女にしては珍しいこと。何をそんなに考えてるの?」
「・・・うん。今日の禊祓で一人の男性と会ったんだけど、その人が使った一切成就の祓が少し変わってて、それがどうも気になって」
「変わってた?」
「うん、私達の使う一切成就の祓なら、『極(きわめ)て汚(きたな)きも滞(たまり)なければ穢(きたなき)はあらじ 内外(うちと)の玉垣(たまがき)清(きよく)浄(きよし)と申(もう)す』でしょう?」
「そうですわね」 「それがその人は『・・・・・極て汚きも滞なければ穢はあらじ 内外の玉垣清浄と明け示す』という詞を使ったのよ」
「あら、最後が『申す』ではなく『明け示す』ですのね。それで祓が発動成立しましたの?」
「ええ、それが普通に発動していたのよ。それに、祓の前にも何か言ってたみたいなんだけど、聞き取れなくて・・・」
「ふーん、まあ、フリーの祓人だったんだから、亜流もあるのかもしれませんわね。気にするほどのことでも無いと思いますけど」
「うん・・・」

 舞夜はその時に感じた胸の鼓動のことは言わなかった。普段は冷静でたまにドジをするとしても、あのような状況では一切の無駄のない自分が、そのようなものを感じたこと自体が正直自分でも信じられない。まして静那にその事を言っても理解はできないだろう。

「それはそうと、今度の休みは久しぶりに二人重なったし、どこかに行きませんこと? 美味しいピザのお店を見つけたんですの。最近は穢れや忌人も少し落着いてきましたし、たまには気晴らししないと、気が滅入ってしまいますわ。」

 静那は舞夜を気遣って言った。多分、細かいことを気にする自分を気遣ってくれると思った舞夜は親友に感謝の気持ちを抱きながら、快諾した。

「うん、それもそうね。ありがとう、静那」

 笑顔で返答すると、静那は自分の考えが見抜かれたことに少し照れた素振りを見せながら、「気にすることではありませんわ。私も少し気晴らししたいだけですもの」と答えた。

 そうして舞夜は報告書も書き終え、静那と二人で談笑していると、突然事務所のドアが開き、「あのぉ〜・・・」という声が聞こえた。時計を見ると既に午前2時を回っており、何かあったのかとドアの方を向いて驚いた。そこにはネコを入れた籠を持った沙上志征が立っていたからだ。

「はい、こんな時間に何の御用でしょうか?」

 静那が志征に近づいて訊ねた。

「えーと、そのですね・・・何か、た、食べるものはありませんか!!!」

 顔を赤くしながら志征はそう言った。

「はい?」
「はい?」

 舞夜と静那の目が点になったのは言うまでもない。



 それから1時間後、静那は自分達の夜食がてらコンビニで食料を買ってきて、今はそれを食べている。舞夜の話で飢え死にしそうだから少し多めに買ってきてあげてと言っていたので、少し多めに買ってきて良かったと思った。この現代日本で餓えというものを見る事になるとは思わなかったので、志征の食べっぷりには感心するやらしないやら。でも、この食べっぷりは男らしいと言えば男らしいと思う。

 当の志征はそれどころでは無い。10日ぶりの人間らしい食事だ。はしたないと分かっていても箸が進む。まあ、衣食住が満たされていないのだから仕方ないと、この二人の前で外聞を取り繕うのも面倒だと思って辞めた。片方とはさっき会ったし、もう片方は珍獣でも見たかのような目で自分を見ているが、気にしないことにした。

 それよりもたかがコンビニの弁当とカップ麺なのに飢餓というスパイスのお陰でこの世のものとは思えないくらいに美味だ。ひとしきり食べ終わると、目の前の二人に土下座してお礼を言う。

「いや、本当にご馳走様でした。これであと3日は生き延びられる」
「3日って貴方、食事は1日3食摂るものですわよ?」
「いやぁ、あんたら公務員と違って、自由業は何かと実入りが少なくてね」

 この言葉は少なからず静那には新鮮な驚きで、傍目に見るとよほど変な顔をしていたのだろう。その様子を見ていた舞夜が如何にも可笑しそうに苦笑いしながら、

「静那ちゃん、現代日本にだって餓えは存在するわ。それに私達が普通の職に就くのも色々と問題が出る事も少なくないわ。この力のせいで、ね。」

 それで3人とも何も言わなくなった。一般人からすれば異端である祓人の霊力は、社会的にも異端視され易く、祓人で苦い思い出を持たない者は殆どいないと言っていい。

「あ・・・、ご、ごめん・・・」

 思わず口を出た台詞とは言え、舞夜は今のは失言だったと後悔した。

「気にすることないさ。体験はそれぞれ違ったろうが、辛いのは誰も同じだったろ」

 と、志征は気軽な口調で言った。それで静那も舞夜も気持ちが楽になり、「そうね」と深く考え込むのをやめた。
不意に、志征が何かを思い出したように顔を上げた。

「あ、この弁当代、明日返したんでいいかな? さっきも話したけど、今、手持ちの金なくて・・・」と、彼が申し訳なさそうに言うと、
「これくらい私が奢るわ。」と、舞夜が少し微笑みながら返した。志征がさも感謝したように手を合わせて舞夜を拝んでは「ありがとう、ありがとう」と繰り返すので、彼女自身も流石に照れくさそうに目を泳がせる。

「そういえば、貴方の一切成就の祓、少し詞が違うと聞いたのですが、何故ですの?」

 二人の様を見て、静那が突然切り出した。静那自身どうでもいい問題と思っていたことだが、二人の姿を見ていて、何故かふと頭に浮かんだのだ。

「ああ、あれ・・・、見よう見真似」

 志征はそう言うと「はっはっは」と大笑いした。呆気に取られたのは静那と舞夜の方である。詞は見よう見真似でいいとしても、それならば実際に祓いの効果が出る筈が無い。

「それはおかしいわ。だって私は祓いの効果が出てるのをこの目で見たもの」
「うーん、まあ、なんだ。飯も食わせて貰ったから少しくらいはいいか。そもそも祓いそのものが型であって、武術なんかと同じで型にこだわり過ぎることはないってことなんだけど、分かるかな?」
「つまり、霊力を詞という蛇口から出してるに過ぎないというわけ?」
「おや、舞夜ちゃん賢いな。そういうことだよ」
「神薙とは違う思想ですわね。神薙では詞そのものが力ですもの。故に言霊、ですわ」
「まあ、それもそれぞれってことでいいんじゃないか」

 舞夜と静那は少しだけこの男に対して警戒心を抱いた。彼が口にした思想はこの世界では異端だ。彼の言葉では、詞に宿る言霊を否定している事となる。

「ああ、気にしないで。俺の思想は異端だから無理に理解しなくていいよ。どっちの思想でも結果は同じだし、それはさっきの戦いで証明してるから、ここで議論したところで何か出てくるわけでもないよ」

 確かにこの手の論争は結論も無く延々と続くようなものだからと、二人はそれ以上問い詰めることはしなかった。

「さて、それじゃそろそろお暇するよ。部外者があまり長居したら都合が悪いだろ? 明けの明星も輝き出したしな」
笑いながらそう言って志征は立ち上がり、事務所を出ていった。

 その去り行く後姿を見ていると舞夜はまた自分の中に違和感があるのを感じ、焦燥感のようなものが溢れてくるようで、自分から落ち着きが失われていくのを自覚せずにはいられなかった。目の前の景色がチカチカしてきて、頭の奥が少しズキズキと痛んで、じっとりとした汗が一筋だけ頬を伝わる。

「舞夜、どうしましたの? 顔色が悪くなってましてよ?」
「あ、うん・・・疲れたの、かな? ごめん、少し休んでていい?」
「ええ、少し横になると宜しくてよ」

 静那は舞夜の身体を支えて、ソファーに横にさせた。そのまま少し待ちながら、舞夜から寝息が聞こえるのを確認して、静那は食後の後片付けをする事にした。


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改2:2006-7-11
初:2006-7-5

Angel of Black is in the interval exceeding light and darkness...