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 ビルの屋上に設置された外灯が夜の暗闇に眠る街をほのかに照らしている。その屋上の端に彼、沙上志征は立ち、顔をなでる夜風に微笑を浮かべながら空を眺めていた。

「星がきれいな夜だな。」

 自分の口から詩人のような言葉が漏れたのを皮肉するように志征は苦笑いした。もっともそんなキザな言葉は嫌いじゃない。ただ、これから行われるであろう戦いを前にして、死に行く者が口にするような言葉を使ったのがに皮肉を感じたのだ。彼は死に行くつもりが無い。だから、これではまるで、自分自身に自分で死亡フラグを立てるようなものだと笑ったのだ。

 志征はフリーの祓人(はらいびと)である。祓人とは何らかの超常的な能力を有していながらも、人間としての一般常識や社会常識を失わず、社会に適合できる人間をいう。対して、社会に適合できない人間を忌人(いみびと)といい、この二者は自然と対立する関係にある。能力の性質そのものは同一だが、それを使う人の心の在り方が違う。善悪の相対さと同じものだ。

 祓人は陰の司法省である陰陽省が秘密裏に設置されており、陰陽省は超常現象を原因とした事件全般の解決の任に当たり、同時にそれらが社会に及ぼす混乱の度合いに応じて、隠匿処理も行う国家秘密機関である。そして祓人としての能力を有している場合、陰陽省に属している事が最も安定した生活を送れる。待遇は国家公務員。

 だが、志征はフリーで活動している。陰陽省の表が司法省ならば、志征の表は探偵業だろうか。その稼ぎ具合から言えば、無職と言えなくもないというのが本当のとこだろう。そもそも今回の事件は単純なペット探しが始まりだったのだ。それがこのように穢れとの戦いになるとは誰が予想したか。しかも久し振りの仕事だったので、サービス精神を出して格安で引き受けたのも、今では後悔する要素の一つだった。

 穢れとは、霊力が悪い方向に作用した場合を指す。それそのものが人に悪影響を及ぼすのか、人が力を生み出すのか、それは断定できるものではない。よって相互に影響し合ってるのだろうというのが、今の一般見解だ。

 そんな事を思って空を眺めていると背後に人の気配がした。振り向くと人影は地面に付くほどに長い髪と、一振りの刀を下げている女性の姿だった。

「貴方、沙上志征ですね? 私は桜葉舞夜、陰陽省禊祓庁執行部の者です」

 その言葉に志征は「はじめまして」と答える。年齢は志征と同じくらいだろうか。夜風にたなびく長髪を星の光が照らして輝く黒艶を演出している。表情は無いが整った顔立ちは美人という形容が最も相応しいだろう。左手には日本刀のようなものを握っており、柄の先からは何やら長い紐が垂れていた。彼女は如何にも志征と話すのは職務ですからという事務的な口調で話を進める。

「この件は禊祓案件26669794号に指定されました。貴方がどのような依頼で来たのかは知・・・」

スパコォーン!

 志征は、話を進める舞夜の頭を上からスリッパで勢いよく叩いた。どこから出したか不明なそのスリッパは、底抜けに明るい音を出す。それも当然、スリッパの底敷きは抜かれており、音は派手だが痛みはあまり無い。コメディ番組などでよく使われるツッコミ用のスリッパである。

「な・・・!?」

 不意に頭上から叩かれて強制的に下を向かされた舞夜は、反攻の声を上げようと顔を上げた途端、

スパコォーン!

 と、今度は額を叩かれて空を見上げることになる。彼女にしてみれば、一体何が何やら分からない。探偵に警告を出している最中、その当人に叩かれているからだ。しかも、ツッコミ用のスリッパで。怒りを込めた目で正面を向こうとすると、その鼻先にスリッパが突きつけられ、

「は・じ・め・ま・し・ての挨拶は?」

 と、志征は聞く。正に出鼻を挫かれた舞夜は、目を点にしたまま呆けた顔のまま、

「は・・・はじめまして・・・」

と、呟いた。それを聞いて志征はよしよしといった感じにうなづく。

「挨拶は礼儀の第一歩だからな。忘れるのはよくない。ああ、俺のことは沙上でも志征でもどっちでも。呼び捨てでいいよ」
「・・・はぁ・・・」

 額を擦りながら舞夜が気の抜けた同意の声を出す。

「ここに来た上に俺の名前も分かってるってことは、陰陽庁もあの穢れに気付いたのか。困ったな、あれを祓われると困る」
「はぁ、意味を解しかねますが?」
「あれは、俺の依頼主のペットに取り憑いててな。何とか引き離さないと俺が報酬をもらえなくなるんだよ」
「・・・はぁ」
「でも、そちらで祓ってくれるなら、そのペットの猫を渡してくれれば、俺には文句はない」

 舞夜は手に持った刀に目を落として答えた。

「それは困りました。今回は和魂による武装は持ってきていません」
「あちゃぁ、やっぱり・・・」

 志征は空を仰ぎ見たまま続ける。
「なら、俺が穢れを追い出すしかないか。面倒だけど、飯代がかかっては背に腹かえられないもんな・・・。」

 意を決したように舞夜に向かって言う。

「じゃ、俺が何とかするから、穢れの方は任せたよ」
それを聞くと舞夜は志征を足から値踏みするような目で見る。「貴方にも和魂による装備があるようには見えませんが?」
「まあね、でも何とか出来る。ただ口外はしないで欲しい。後が面倒なんでね。」
「? 現状、考えられる可能な手段としたら、霊力を集中させた一切清浄の祓ですか?」
「まあ、そんなとこかな」

 ふむ、と、舞夜は手を顎に掛けて少し思案すると、

「いいでしょう。私は結果的に祓えれば問題ありませんので。」
「じゃ、契約成立ってことで。ひとつよろしく」

 しばらくして、周囲の空気がどんよりと重くなるのを感じた。夜の帳よりも更に黒い何かが、二人の前に収束する。それを見て志征は指を鳴らしながら立ち上がる。

「来たみたいだ。それじゃしばらく引き付けておいてくれ」
「分かりました」

 舞夜は手に持った刀を構えて、収束する黒い何かに向かって走る。やがて収束は加速し、黒い何かは大きな黒猫の姿を取った。ただ、尻尾が二股に分かれている。

「はっ!」

 舞夜はその眼前に近付くと同時に右手で刀を横薙ぎに一閃する。鞘すべりの音がして、舞夜の踏み込んだ足音と同時に、紅に輝く一筋の光が黒猫の鼻先を掠める。意図的に外した一閃だが、威嚇効果は高かったらしく、黒猫は一歩後ずさる。すかさず踏み込んだ右足を軸に薙いだ勢いを利用して右に身体を回転させ、左足で蹴り上げ、そのまま真上に飛び、黒猫の身体を飛び越えたところで、右足を斜め下45度に向けて槍のように突き出し、黒猫をビルの屋上に叩き付けた。その落下の勢いで刀を抜いて突き刺そうとも思ったが、さっき志征との約束を思い出し、空腹に苛立つ彼の姿を思い出して思わず微笑ましい気持ちになった。それにこの穢れは母体となる猫を飲み込みきれてはおらず、放置されて数日経つならいざ知らず、まだ殆ど時間の経過していない今なら大したものでは無い。

 そう判断した舞夜は、柄の先にある紐を鞭として使い、黒猫の四肢を結んで動けないようにした。

「へぇ、紅の刀なんて珍しい」

 志征が感嘆の声を漏らす。それもその筈、舞夜が持つ刀は日本刀の形状ながら刀身が紅い。

「まさか緋緋色金を、こんなところで拝めるとはね。」

 と、志征は邪推してニヤリとする。舞夜は素早く刀を鞘に収めると、志征の方を見て、

「詮索は無用です。私達は求める結果は同一ですが、その仮定は違います。貴方が何もしないなら、この穢れはこのまま祓っても私は一向に構いませんよ」
「ああ!分かった分かった!ちょっと、ほんのちょっとだけ待ってくれ!」

 そういうと志征は慌てて右手を倒れた黒猫に突き出して唱えた。

「・・・・・極て汚きも滞なければ穢はあらじ 内外の玉垣清浄と明け示す」

 この祓詞は違う、と、舞夜は気付くと同時に胸の奥に熱い鼓動を感じた。陰陽省で使われている一切清浄の祓とは僅かに違う。だが、その僅かの違いが自分に鼓動を感じさせているのは分かるのだが、その理由が分からない。それを疑問に思っていると黒猫から黒い影が滲み出て、全ての影が出ようとすると黒猫は普通の猫に戻っていく。

 舞夜はすかさずその影を包みこむように五点の突きを繰り出す。すると一突きごとに紅い点が宙に浮かび上がり、最後にそれらの点を斬り結び、空中に五芒星を刻み描いた。

「狂い咲け、血桜」

 その言葉と同時に五芒星は紅に光り出し、光は影を飲み込んでいき、光が収まると影は消え去っていた。

「これでそっちは任務終了だな。さーて、気絶してるうちに黒猫を捕まえないと・・・」

 志征はそう言うと黒猫をつまみ上げて、ペット用の籠に入れた。

「よーっし、確保っと。これで俺の方も完了だ。久し振りにまともな食事ができる・・・何、食べようかな」

 如何にも嬉しそうに言いながら、彼はこの場を立ち去ろうとし、思い出したように舞夜を見て、

「舞夜ちゃん、お疲れ様。縁があったらまたどこかで」
「お・・・お疲れ様。また・・・」

 志征はにこりと微笑むと、立ち去っていった。舞夜は先ほどまで感じていた胸の鼓動が収まっているのに気付いたが、収まったというよりも失ったような虚しさを感じている自分を不思議に思った。

 が、それもすぐに怒りとなって忘れられた。そう、彼女は頭をスリッパで叩きツッコミをされたことに文句を言い忘れていたことを思い出したのだった。追いかけようと思ったが、既に姿は見えず、目を閉じて気配と霊力を探ったが、近くにそのようなものは感じられなかった。

 これ以上、追いかけようとしても時間の無駄だと判断した舞夜は、五芒星に飲み込まれた穢れの痕に報告書を押し付ける。この紙に吸収された残留霊力が証拠記録になり、経過報告を書いて報告書になるからだ。陰の機関である禊祓庁でもこういう報告の形式などに五月蝿いのは少々面倒だとは思う。

 とりあえず彼女は、事務所に戻る為にビルの階段を降りていった。


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改2:2006-8-11
初:2006-7-5

Angel of Black is in the interval exceeding light and darkness...