東方異霊録


絶対命中斬撃


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 涼やかな顔をしたまま桜葉舞夜は紅一刀『桜華』で居合いをした。空を裂く閃きのように紅く鈍い光をその鞘から放ち始める。

「これが桜葉の絶対命中斬撃と呼ばれる必殺の居合いですか」

 油谷はその斬撃を見ても落ち着いていた。腰を屈め、横薙ぎに動く刀身を下から掌底で上に突き上げようとしたのだ。しかし、舞夜の手に握られた桜華の刀身は奇妙な線を描いた。既に全身を現した刃は油谷の屈む方向へ急激なカーブを描く。

 道術と武術に長けており、見た目の柔和さからは思いつかないほどの胆力と戦闘経験を持つ彼は、慌ててずに軽身功を使って飛び上がった。その名の通り脂が滲み出るように丸々と太った体格だが、その動きに鈍重さは無く、軽身功のせいでより軽やかに、まるで風に乗って飛翔するかの如くである。しかし、下向きだった筈の剣閃は、今再び自分の方に向かっていた。

「馬鹿な!」

 すかさず油谷は汗を拭くのに使っていたハンカチを取り出し、それを蹴り飛ばして後ろに慣性を取る。軽身功を使って身軽になっている今は、ハンカチほどの質量でも十分な反動を得られるのだ。が、そこで異様なことが起きた。脂谷と反対の方向、つまり舞夜の方向に吹き飛ぶ筈のハンカチは、突然その軌道を曲げて、桜華の刃によって両断された。

「まさか、その力は!?」

 後ろに大きく跳ねた油谷の軌跡を沿うように刀閃が疾り、その閃きに引かれるように舞夜の身体が踏み込んでくる。ダメージを避けられないと判断した油谷は、ダメージを最小限にする斬られ方を考えるしかなかった。



 カチン。
舞夜が涼しく澄ました顔で刀を収める前で、片膝を付いた油谷が出血する腹を右手で抑えていた。

「重力使いか・・・!」

 舞夜は少し意外そうな顔をして、

「これが重力だと見抜いたのは、所長・・・いえ、油谷、貴方が二人目ね」

 素早く点穴を突き、腹部の出血を止めて油谷が立ち上がる。

「それもまさか、相手を引き付けるのではなく、相手が自ずから引き付ける故に絶対命中斬撃とは・・・これはしてやられました」

 油谷は斬撃の後を塞ぐように腹に力を入れる。足を開脚し構えを取った。
 それに相対する舞夜は、目を細め、冷たくいやらしい笑みを浮かべながら鞘から少しだけ出した刃を舌の先でなぞった。風で足元に届くほどに長い髪が舞い上がり、夜空の星々と月光を覆い隠す中、紅の刃を舐める舌の色が艶かしく淫靡に映えた。

「人生と同じでね、相手に引っ張って貰う方が楽でしょ?」

 鞘に刀を再び収める。柄がチンと冷たい金属音を響かせる。

「種明かしは今までの恩返し。そして、恩義ある人をこの手で殺めなくてはならない哀しさを私に教えて?」

 舞夜の言葉に、妙なことを言う娘だ、この娘はこんな人格だったか?と、油谷が思った瞬間、耽美に浸るような微笑を浮かべながら、舞夜が動いた。

「狂い咲け、血桜」

 言葉と同時に油谷の左腕が身体から離れて宙に舞う。舞夜はその肉の塊に何千という斬撃を浴びせた。何千という表現は形容詞に過ぎない。傍から見れば紅の閃きと血飛沫の舞踊だ。

「あああ!哀しい・・・・・、哀しい!哀しい!哀しい!ふふふ・・・・・共に命を助け合った恩義ある人の腕を細切れにしてしまったなんて、ふふ、なんて世界は儚く哀しいの・・・」

 塵のように細切れになった肉塊と血が渋きのように地球の重力に引かれ、その紅のシャワーを浴びながら、舞夜は耽美な顔付きでそう言った。

「・・・これがこの娘の本性か!?」

 かつて上司として、大人しいが優秀な所員だった舞夜に接していた彼は、正直驚きを隠せなかった。「彼が、彼女の本性をここまで解放したのか・・・。彼は・・・、一体・・・。」 今まで幾人もの忌人と戦ってきたが、普段の彼女を知っているだけに、ここまで薄気味悪さを感じたのは初めてだった。そしてその原因であろうあの男に得体の知れない恐怖を覚えたのは言うまでもない。




 油谷が恐れる彼らは、実際のところただの変態である。


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改:2006-11-2
初:2006-11-2
東方異霊録
Written by Zeek